会長挨拶
第8代目の会長を拝命いたしました村田です。この会は日本で最も古いフランス料理人の協会であります。渡辺鎌吉先生をはじめとした偉大なる先人達が、脈々と紡いで来られた長い歴史を将来に残していく大きな役割を担っていると実感しております。
八重洲会の活動の一環として昨年から、役員達による小学校の子供達へ「味覚の授業」などを行っており、少しでも貢献していきたいと考えております。また、職人としての技術を後世へ残していくために、貴重な資料を基にした料理講習会や食事会なども企画しております。また、料理人だけではなく、料理を作る上で欠かすことのできない「食材」を提供してくださる皆様とも一緒に八重洲会を活性化して参りたく、皆様のご入会を心よりお待ちしております。
八重洲会発足のあらまし
大正11年(1922年)、我が国におけるフランス料理の開拓者の一人である渡辺鎌吉氏が64歳で没し、その翌年の大正12年(1923年)12月4日に岩堀房吉氏(元綱町三井倶楽部料理長)の提唱で、当時の弟子たちが集い師を偲び、互いの友情を深める会を催し、その時に中央亭のあった場所の住所が八重洲町であったのでそれにちなみ、「八重洲会」という会が発足されました。 以来、中央亭の渡辺鎌吉氏の弟子たちが毎年集い師を偲びつつ、フランス料理の勉強の場としての会として歴史を刻んできました。
昭和に入り当時の会長の佐藤良造氏(元丸の内 常磐屋総料理長)の時に山越徳玄・上原正一郎氏・辻村佳也氏(日比谷・松本楼)紅谷清三氏(東京会館総料理長)及び当時の役員たちがこれからは、中央亭の枠にとどまらずに、西洋料理・フランス料理の料理人の親睦団体としてさらに発展させ、今日に至っており、日本での最古の伝統を持つ料理人の会であります。
初代会長岩堀房吉(元綱町三井倶楽部調理顧問)、佐藤良造(元丸の内 常磐屋総料理長)、山越徳玄(元綱町三井倶楽部総料理長)、上原正一郎(元藤田観光椿山荘総料理長)、関塚康男(元喜山総料理長)、眞田英輔(元綱町三井倶楽部総料理長)など歴代会長がその伝統を伝え続けてきました。
会員は平等をモットーにして、八重洲会の原点である渡辺鎌吉師の遺訓のもと、現在は村田眞吾会長(藤田観光株式会社 名誉総料理長)のもと会員200名あまりで、100年の歴史と伝統を引き継いでいます。
渡辺鎌吉師 略歴
- 安政5年(1858年)
相州藤原宿(横浜近郊)の農家の息子として誕生 。10歳を過ぎる頃に英国公使館に入る、料理修業を始める。
- 明治23年(1890年)
鹿鳴館が華族会館となり、料理長となる(31歳)
- 明治36年(1903年)
日本女子大学講師を大正9年(1920年)迄17年間勤める
- 明治40年(1907年)
中央亭開業(49歳)
- 大正11年(1922年)
没 享年64歳
渡辺鎌吉師 遺訓
- 人の生命を預かる食べ物の仕事に名誉と責任を持ち、 お客様へ奉仕する事 に最大の喜びとする。
- 天与(造物主)の食品を調理する事に感謝し 料理技法の最大最高の状態で供する。
- 科学する 芸術する 経済する。
- 物質的面に遍せず、精神面を閉却せず。
- 大工は土地をみて家を建てる、料理は材料を見て造る。
- 料理の仕様に憲法はない、創意をこらして融通を持て。
- 料理の心得は智(知識を持ち)美(美しさを知り)、(心を配り) 愛(おもいやりの愛おしさをもつ) 和(調和をつくる)
- 納得が行かない物は造り直せ
- 時流に遅れず 先走りせず
- 料理は人を語る 正しき心は正しき食物を造る
- 真味の料理人は人種も国境も超越し大交響曲を心耳する
役員紹介
- 八重洲会歴代会長
初 代 :岩掘 房吉
第2代 :青柳 駿
第3代 :佐藤 良造
第4代 :山越 徳玄
第5代 :上原 正一郎
第6代 :関塚 康男
第7代 :眞田 英輔
第8代 :村田 眞吾
- 八重洲会歴代名誉会長
初 代 : 滝 昇之助
第2代 :上原 正一郎
第3代 :関塚 康男
第4代 : 眞田 英輔
- 八重洲会役員(2024年10月現在)
会長 :村田 真吾
副会長 :藤井 克昭
事務局長 : 飯塚 喜隆
執行役員(会計担当) : 千葉 裕之
執行役員 : 岸 義明
執行役員 : 伊藤 俊幸
執行役員 : 緒方 伸二
執行役員 : 齋藤 雅巳
執行役員 : 森田 信夫
執行役員 : 市川 博史
執行役員 : 高橋 義幸
執行役員 : 松山 昌樹
執行役員 : 斉藤 哲二
名誉副会長 :福島 正八
渡辺鎌吉師と中央亭
「わが国に於けるフランス料理の道を志す者は渡辺鎌吉先生を知らなければならない・・・」